幼少期から大学生まで

なんでも思い通りになった時代

父親はサラリーマン。

休みの日以外はずっと会社で
僕の周りには
母親、妹、そして時々おばあちゃん。

女性ばかりの日常で

習い事は、エレクトーン。

この時も男は一人だけ。

中学の部活は吹奏楽部で
ここでも3学年合わせても男は一人。

ずっと周りは女性
という環境で生きてきた。

中学の部活決めの時は
男一人でよく吹奏楽部なんか入ったね。

なんて言われたけど
たぶん

人と同じが嫌だったんだと思う。

母親のことが大好きで
母親に褒められることならなんでもやってきた。

家事の手伝いもしたし
テストでいい点数を取ったら喜んだから
勉強も頑張った。

困っている子がいたら助けてあげれる優しい子でいなさい。

と、言われたら

一人で寂しくしている子に声をかけて
一緒に遊んだ。

まとめ役でもあったから
学級委員は毎回やったし
中学校では生徒会もやった。

人がやりたくない事で
自分の肩書きにプラスになる事が好きだった様に思う。

小学校の間の6年間
中学校の3年間

音楽に携わっていたから
音感やリズム感は人よりも優れていたし

両親のおかげで
運動神経もよかった。

小学校の頃は
足の速い子は基本的にモテたから
徒競走負けなしの僕はモテたし

中学生は音楽やっている子がモテたから
必然的にモテた。

今考えると
周りが女性ばかりだったから
その女性に気に入られるような事ばかりやってきた気がする。

未熟なりにも
女性を敵に回すと怖い
という事を知っていたのかもしれない。

勉強・音楽・運動

全てある程度できた僕には
全て僕の思い通りになっているような気がして

漫画やアニメの主人公になったつもりでいたと思う。

うまくいなかい高校時代

そんな僕のヌルい心を打ち砕いたのが高校の時。

少し背伸びして入った高校で
テニス部に入った。

初めての男ばかりの部活。

男友達の少なかった僕からしたら
男社会の居心地の悪さは半端なく

テニスはしたいけれど
人間関係がうまくいかない。

そんな生活が続いた。

勉強面でも
中学までは頭のいい人
という周りからの目があったけど

少し背伸びして入ったものだから
頭の悪いグループの仲間入り。

認めてほしい欲求が強かった僕は
高校で大きな壁にぶつかった。

その頃からだろうか

諦め癖というのがついた気がして
最初うまくいかなかったら

あ、自分に合わないんだ

やーめた!

ってなる事が多くなった。

周りに認めてもらわないとやる意味がない

心のどこかでそんな事を思ってた気がする。

その頃も母親の影響は大きく
化学が好きだった僕をみて
薬剤師になったら?

という一言で
薬学部を受けていた。

今思い返すと
高校時代の僕は本当何に対してもやる気なく

真剣に打ち込める物がないって
めちゃめちゃ苦痛なんだって

そういう経験をする時期だったのかなぁ
なんて思う。

大学受験落ちる

大学受験の失敗は
僕に取って初めての挫折だった。

高校時代のことは置いておいて笑

多くの人が合格していく中
僕は落ちる

っていう

なんとも言えない屈辱を味わった。

テニスの試合で負けても悔しくなかったのに
受験で落ちるのは悔しいって

今思えば逆だろう!!!

って思ったりもするけど。

大学に行く以外の選択肢は頭になかったから
1年間勉強に費やすことを決め

予備校に毎日通った。

よほど悔しかったんだと思う。
最初の半年間ものすごく勉強し
河合塾の模擬試験で全国10位以内に入るくらい勉強した。

僕は飽き性で
同じことをずっと続けていられない。

半年勉強ばかりやっていた僕は
そこから急に成績が落ちていく。

ギリギリで摂南大学薬学部に合格したが
志望校としては4番目だった。。。

大学時代は
勉強はソコソコに
テニスサークルとネットゲームの日々。

ただし
午後からの実習はとても面白く
特に化学実験にハマった。

研究室は
当時一番過酷だと言われていた
薬化学研究室に入り

朝は9時
夜は25時まで実験を繰り返した。

今思えば
一番楽しくもあり、一番戻りたくない毎日かもしれない笑

研究室での生活は大学4年生の12月頃まで続き
薬剤師免許の勉強を始めたのはそれから。

切羽詰まると集中力はあるほうなので
3ヶ月の勉強でギリギリ合格点を取り薬剤師免許を無事取得した。

次は、波乱の社会人時代をどうぞ